教えは理解するだけでは無く、経験することが大事だと思った。という話

こんばんは。管理人です。

先週は色々あって修練に出ることが出来ませんでした。

ということで、今回はいつも書いている活動報告が書けません。

何を書こうかなぁ~と色々考えたのですが、今回はちょっと雑談っぽく”教え”について書いてみたいと思います。

少林寺拳法では技の修練の他に、教えを学びます。

教えというのは原始仏教の考え方をベースに開祖の体験などを加えて、どう生きるべきかを示したものです。

そもそも開祖は敗戦後の日本の実情を目の当たりにして、青少年達に教えを説くことを目的として少林寺拳法を創設されました。

その為、少林寺拳法では教えを大事にしていて少林寺拳法の昇級・昇段試験でも学科試験があります。

私は大学の少林寺拳法部で初めて少林寺拳法を始めたのですが、この教えが好きでよく教範や副読本(今は読本)を読んだりしていました。

少林寺拳法の教えは素晴らしい!その通りだ!なんて思っていました。

でも、社会人になって色々な壁に遭遇すると徐々に疑問がわいてきました。

例えば「半ばは自己の幸せを、半ばは他人の幸せを」という教え。

文字通り「半分は相手のことを考えましょう」という意味です。

仕事をしていると色々な人に出会います。

中にはいかに自分が楽をして他の人に仕事をやらせるかを熱心に研究(?)している人がいます。

そういった人に「半分は相手のことを考える」という姿勢で接すると、結構大変なことになります。(^_^;)

そして「他の人に仕事をやらせる」という研究が進めば進むほど、「自分だけ苦しい思いをしたくない」という人が増えていきました。

「自分さえ良ければいい」という人が増えていくと、どんどん悲惨な方向に進んでいきます。

積極的に行動する人や主体的に行動する人達が次々と体を壊していき、そして最後は辞めていきました。

何とかこの状況を変えられないかと思い、色々な本を読んだり、セミナーを受けたりしました。

そんな中で出会ったのが「感謝の心を持つ」ということでした。

ちょっとでもいいから相手のことを考えて行動する。そして感謝する。

本当に1つ1つ、小さな事を積み重ねていくうちに周りの人達が協力してくれるようになりました。

まずは自分から感謝の心を持たないと、相手も感謝の心を持てないということを身に染みて経験した出来事でした。

この変化を自分自身が経験したことで、頭の理解ではなく実感として教えを感じることが出来た気がします。

実は正直に言うと、当時は「本やセミナー」で学んだことを実践したものであって、少林寺拳法の教えは全く頭にありませんでした。

それから何年も経って、昇段試験を受けるときに「そういえばこれって少林寺拳法の教えに繋がるな」と気付いたものです。

今振り返ってみると、大学生の頃の理解は本当に浅かったなぁと思います。

実際に経験した今では当時とは少し違った捉え方をしています。

きっとこれから先、また色々な経験を通して違った捉え方をしていくのかもしれません。

それでも、教えの核の部分は大事にしていきたいなと思います。

それではまた!

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